ツカミで笑えて 触れて納得 最後に感動できるもの

こんにちは、SOCIAL JAM SESSIONの山本です。
私は、自分にとっての「面白い」に定義を持っています。それがタイトルである「ツカミで笑えて 触れて納得 最後に感動できるもの」です。この定義に基づいて、自分の人生を面白くすることを常に意識していますし、プライベートでの楽しみ方はもちろん、事業や企画もそのように実現できないかと探求しています。

新規事業企画に必要なのは5W1Hの観点

本業でも新規事業開発をキャリア軸にしている私ですが、その際の企画は「5W1H」を端的に一言で説明できることが求められます。「いつ・どこにいる・誰の・どのような理由に基づく・どのような課題を・どのように解決し・どうお金をいただく企画か」(必ず5W1H全てを揃えなければいけないわけではない)が明確かということです。

何故ならば、顧客・チームメンバー・上司・決裁者・投資家・共創相手など多岐にわたるステークホルダーに対して、最大公約数的な説明をしなければならないからです。企画に対して各ステークホルダーの求める視点が異なる中、かつエレベーターピッチなど短時間で企画意図の理解や投資判断をしてもらう必要がある条件において、「いかにわかりやすく」なるべく余計な情報を削ぎ落として、極力結論や用件から伝えられるかが勝負になります。

「理解されてしまう苦しみ」

私に企画アイデアの壁打ちをご依頼いただいた際、企画者ご本人も様々な思いや情報を有していらっしゃるため、伝えたいことが発散しているケースがあります。その際は先述のように「この企画を5W1Hで表すと、どう整理できますか?」と質問します。特にその打ち合わせに複数人が参加している場合、目線合わせができていないとその後の議論も収束しないからです。

・・・ただ、この場だから申し上げますが、私はこのような整理方法を、心の中では「マジ詰まらないな」と強く思いながら活用してしまっています。企画の方針整理や、わかりやすさを優先するために、顧客ターゲットを明確にし、課題の解像度を高め、クリティカルなサービスを資料に落とし込む。正しいのです。正しいのですが、企画者の思いや伝えたいことは、本当はもっと複雑で、もっと伏線があってどこかでつながるポイントがあり、色々可能性の広がりを予感しているからこそ、発散してしまうのではないでしょうか。

それは小説のような思考だと考えています。対して5W1Hは、前書きで「この小説のメインストーリーはこう読むんですよ」と発信するようなものです。そして読者は、「なるほど、そう読めばいいのね」と表面的かつ単一的な理解で話を進めてしまうのです。本当はもっと本質的な内容で共感してもらいたいにも関わらず。私はそれを「理解されてしまう苦しみ」と名付けています。

著者の思いを直接的でなくても表現の節々から感じ取れ、受け手である読者が自分の過去や考えと照らし合わせて解釈するから、小説は読んでいて楽しいのであり、その時点で小説は完成するのだと思います。

共感くださったお客様やパートナーとつくる企画

私の人生やキャリアは、自己紹介をすると非常に発散した内容になります(いつも笑いを取ろうとするからということもありますが笑)。中途採用面接の場をイメージするとわかりやすく、「ジョブホッパーでしょ」と一蹴されることも多いのだろうとは推察しますが、「なんだろうこの人、不思議だな、もっと裏や奥行きがありそう」と自他共に感じられることが、私にとっての「面白い」の入り口です。

そして、一見発散しているように見える経験が実は意図的に(あるいは偶発的な経験が後で)繋がっており、「ああ、そういう考えや信念がベースにあるのか」と納得してもらうことがネクストステップです。面接の場合はこれに実績と掛け合わせて、「当社で活躍してくれそうか」を判断いただくことになります。

ですが、本当に私が求めているのは、「この企画(この人)って、こういう解釈をしたら面白いのではないか」「私と一緒にやってみたら、化学反応が起きるのではないか」と思っていただき、自分の想像域を超えた世界が広がることです。場合によっては、企画自体が私の手を離れて、違う方向に広がっても構わない。そのような出会いや挑戦があるからこそ、互いに心が動く感動的な体験ができる。シンプルに言えば、まさに「ジャムセッション」だと捉えています。

人生は「仕事」ではありません。人生の究極の目的は楽しむことに尽きます。その目的に合った仕事だってできるはずです。私の人生においても、「最後に感動できるもの」というピースをこれから満たしたいと強く願っています。

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