「安静」と「競争」を行き来するはたらき方

<本日のBGM:The Four Freshmen “Give Me The Simple Life” >

こんにちは、SOCIAL JAM SESSIONの山本です。
仕事で忙しい毎日を過ごしていると、「たった一度の人生なのに、なぜこのような仕事をしているんだろう」「もっと自分らしい仕事はないか」と頭をよぎることもあるでしょう。今回は、そのような方へのご提案を含めてまとめさせていただきました。

シンプルな生活への憧れは、いつの時代も

本日のBGMは1945年に作曲されましたが、そのような時代においても「心配事や競争もない、シンプルな生活がしたい」と歌われています。それから経済が成長し、資本主義世界における競争が加速する中で、仕事やそれに費やす時間に、人生の意義を求めるのが難しいと感じる人は多く存在することと思います。

肝心なことを申し上げれば、仕事という存在そのものは、働く人の人生を満たすことを第一の目的としていません。仕事とは社会を回す機能であり、重要な歯車です。逆に言えば「役に立たない」仕事は存在しません。そういう意味においては全ての仕事は尊いと言えます。ただ、仕事そのものに人生のやりがいを重ねられるかは、どんな仕事に取り組むかも含めてですが、人それぞれです。

常に競争にさらされるのも「歯車」の要素のうちであり(競争があるのでサービスレベルが上がったり市場が拡大するので)、それ自体に疲弊する方もいらっしゃるはずです。社会全体としても、昨今の日本のように人口減少の一途であればこそ、永遠の成長を望む観点だけでなく、「足るを知る」を組み込むことも重要というのは、私の考えです。

ちなみに、そのような競争を嫌う方は、心の安静を求めて、資本主義から距離を意図的に置くという選択もひとつになります。参考として、下記書籍『手づくりのアジール』をご紹介します。もしよろしければ。

現代社会の仕組みから外れるということも、やはり大変

とはいえ、完全に山奥に自給自足で生活をしたり、ミニマリストとして最低限の欲求だけ満たすという生活と割り切ることができる方も限定的であり、それすらもある意味才能です。都会には人々に「暇」を埋めて欲をもたらす誘惑が多く、他人との比較を余儀なくされる環境があります。どんなに競争が嫌いな方でも、競争に勝つ場面があれば、多かれ少なかれ喜びを感じる瞬間があるはず。

自給自足ができないのであれば、お金を稼ぐことも当たり前ですが重要です(仕事の基本的な価値は「生活のため」であることに変わりはありません)。守るべき家族がいれば、安心して暮らせるだけのお金を稼ぐことは十分素晴らしいことです。「シンプルな生活」をどんなに望んでも、それを続けることもまた大変なのです。

社会の仕組みに乗る仕事と「少し外れる」仕事に分けるのが、現実的なバランス

今の仕事で「やりがい」を感じられなければ、転職や起業も選択肢になるでしょう。また、仕事で自分の意思決定を反映できる場面を増やすことを目指すなら、その会社での出世を目指すのもひとつです。ただ、どんなに「自分が望んで始めた」転職でも起業でも出世でも、その人が幸せになるかは別問題だということを、私はしばしば目の当たりにしてきました(それぞれで色々な経験ができることは素晴らしいと思いますが)。

「仕事」である以上、結局は資本主義の仕組みに則ることからは免れません。お金を稼ぐためには、自分の仕事の存在が認知されたり、競合に勝つことを考える場面はどうしても発生します。ただ、少しだけ自分本位、「自分がやりたいからやる」を優先させる仕事は何も珍しいことではないですし、それだけでも自分にとっての心の「アジール(避難所)」になります。

もちろん、そのアジールが趣味でも構いません。構わないのですが、それが少しでも誰かの役に立ったり喜ばせることにつながるのであれば、スモールビジネスとしての起業や副業で試しながらアジールを大きくすることが、現実的でリスクも低く、人生のやりがいにも直結するのではないかと考えています。

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